2022/12/24
七夕のような邂逅へのお礼
おはようございます。おはようございますどころか、本来はあけましておめでとうございます、それから、お久しぶりです、ご無沙汰しておりますなど、いろいろ前置きが必要なのですが、ご容赦いただければ幸いです(?)。いかがお過ごしでしょうか? そういえば放置したままなのでは、と思い久しぶりに日記を書くことにしました。いつも(一年以上のブランクがあるわけですが)申し上げている内容ではありますが、どなたかがご覧になるという認識はあるものの、それほど他者の目線を気にしてはいない日記ですから、いつもどおりのテンションで日記を書いていこうと思います。年末特大号みたいになるでしょうか? たまたま気が向いて書いてみようと思っただけなので、とくに書くことを決めていません。まあ、いつも決めていませんけれど……。
起きました。本日の起床は七時ぴったり。まぶたは重いものの、なんだか起きなければならない気がして、起きることとなりました。書いていて思いましたが、そうそう、こんな感じで日記を書いていたような気がする、と懐かしい気持ちになりましたが、意外と書いてみれば書けるもののようです。後ほど何かしらの揺り戻しというのでしょうか、筋肉痛のような現象がきっと起こるでしょう。さて、話を戻しますが、このところの週末土曜日は午前に近くのカフェに向かうことが多いです。トーストとコーヒーを頼んで朝日を浴びながら、今日は何をしましょうか……、と案を練ったりしていたのですが、年末ですので今日は開いていないと思われます。こちらとしては、遠方から戻ってきて、とばたばたしていたので、その帳尻の解消というか、つまり家事に勤しむ日になりそうです。世間ではクリスマスで、もちろん自分で認識はあるのですが、こちらには関係がありません。そういえば年末だから、何かすべきことはなかっただろうか、といろいろ思い浮かべて日記を書くことにしました。年末だから、と理由を見つけたのが大きいかもしれません。逆にいえば、ここまで日記を書かなかったのは、それを上回る別の理由か、あるいは書くより書かない理由が優越したものと総評できます。ようするに、生きるウエイトが少し変わったのでは、と思いますが、特段この一年、一種の人生の岐路に立った自覚はありません。しかしながら、人生の岐路に立つための準備を進めようとした一年だった、というのは振り返って思います。それなりに意識してカロリーを消費しました。今回において人生の岐路というのは、たとえば環境の改善程度のことです。換言すれば、快適さでしょうか。快適さを得るために、金銭的な余裕を得ようとして、そのためにカロリーを消費して、それなりに成果を上げることができた、つまりそこそこ収入を増やすことに成功した、そして来年引き続きその見込みをまだ残している、という状態でまとめることができた、というのが一年の端的なまとめでしょうか。正直なところ、お金に執着がある人間ではありませんので、お金に執着しなければ、どうしても得られない、実装できない自由というのがあり、そのために尽力したという構図になります。しかしながら今年は、種蒔きの傍ら収穫できる成果があった、という認識が個人的にはやや大きく、本格的に実りが出るのは来年だと展望しています。土壌を整備したので、たまたま連動して今年のうちに一部収穫が見込めた、という形でしょうか。この実りによって、いくらかの自由を引き換えることができるでしょう。ですから、来年こそは創作を進めたり、日記を書いたりしたいと思っています。実行していないので、皆さんお信じにはならないでしょうが、思ってはいることを明言します。そうそう、Twitterまったく呟いていませんから、この日記を書きました、とURLを貼るくらいはしましょうか……(遠い目)。
そのほかは? 年末特大号といいながら、意外とあっさりまとまってしまいました。特筆すべきことといえば、実際はそれくらいなのでしょう。Youtubeの上半期下半期買って良かったものリストみたいに、細かくランキングを取りまとめておかなければ、どこかを区切りに綺麗にまとめようとしたとき、いくらかの思い出は四捨五入される端数になってしまうようです。そうならないように、このサイトがあって、日記があるのでは? というお声が聞こえてくるような……。認識はしております、来年は頑張りたいと思います、としか言いようがありません。年末年始は形式上少しお休みがありますので、そこからリハビリと暖機運転を兼ねた日記を書くことができればと思います。思うのは自由でよろしいでしょうか。というか、「Youtubeの」という、やや俗な言ができたのは、少し成長な気がします。時事ネタというか、時代の潮流を認識していないサイトというか、あえて拾わない方針ではありますので、個人的に少し驚きました。書いていないから認識していないだけで、今の僕の語彙は少し変わっているようです。ここまで書いていて、どことは示さないのですが、そういう言い回しをする人間でしたっけ、と思う部分がちらほらあります。ただ言葉の取捨選択の軸はやはり自分というか、語彙が変わろうと自分らしい言葉だ、と思う微笑ましさが両在しています。自分の分身のような、想像にすぎませんけれど、子どもがいたとしたら、その成長に驚いたらこういう感慨を抱くのかもしれない、と心象をイメージしました。同じ刺激を受け続けたいという、僕の言葉で言うならスイッチから、子どもを育て続けるのでしょうか、と少し想像はしてみるものの、そんなに単純なものではないでしょう。すごく話は飛ぶのですが、お腹が空いてきました。日記は思ったことが書けるから良い、としみじみ思います。とくにこういうところで。ただ一方思うのですが、「話は飛ぶのですが」というものの、道行く皆さんの会話を聞いていると、話が飛ぶほうがむしろ自然だと感じます。筋道や話の段取りがある、最短距離を狙うような話を組み立てが、換言すれば人工的なわけですから、自然ではないのだろうと思います。この不連続さというか、脈絡のなさについては、すごく皆さんを参考に、取り入れたいと常々思っている部分です。文章でのみできたにすぎませんが、それが今年一年ぶりの日記で早速実行できたのは、そんな些細なことが、とお思いになるかもしれませんが、個人的にはすごく嬉しかった部分です。
意外と書いています。書こうと思えば、やはり書き続けられるのでしょうか。あとは何か書くことあるでしょうか、と以前の日記を見てみることにしましょう。そうそう、朝活や昼活をやっていた時期がありました。ようするに、今はしていません。朝活昼活のためのカロリー消費でしたので、来年からはまた朝活昼活をしたいと思っています。具体的には、まずは引越しをする予定です。いくつか見に行って、条件には合致していないので、まだ段取りの中ではあるのですが、春までには実行したいところです。簡単にいえば、来年はいろんな手間を省いていきたいです。贅沢はしませんが、必要な投資は際限なく行えればと思っています。個人的には、日当たりの良さを最重要視していたりします。ほぼ午後は起きて外にいますから、最低限家にいる午前中が明るい家を望んでいます。
ひとまずこんなところでしょうか。最初に書きましたとおり、いろいろ今日はやることがありますので、貴重なお休みに少しずつ解消していきます。午後は少しくらい外出しておきたいところ。買いものとかを済ませておきたいです。なんだか一年間くらい放置しておいてこんな年末特大号で(相対的に大きい、と解釈してください)申し訳ありません。来年はもう少々特大にしたいです。繰り返される「来年は」という接頭辞は、使ってみて勝手に納得してしまったのですが、残り僅かな年内を穏やかに過ごしたい、という意味で間違いないと思います。そうそう、引き続き、一年間ありがとうございました。一年のうち、一日しか漸近していない、天体の接近や、あるいは七夕のような邂逅へのお礼ではありますが……。